兵庫県神崎郡市川町、谷(たに)。
中世の山城・谷城のふもとの村。
古城の里に、いま珈琲の香り。
谷——ただ一文字の、まっすぐな地名です。古代の神崎郡が市川を境に東西へ分かれたとき、このあたりは西側の神西郡になりました。中世の神西郡には、甘地郷と並び称される「永良庄(えらのしょう)」という荘園があり、谷はその歴史と深くかかわる村です。
村を見下ろす城山には、中世の山城・谷城の跡が残ります。市川町指定の史跡です。築いたのは赤松円心の孫にあたる永良三郎則綱と伝えられ、永良庄を治める城として明徳年間(1390年代)にひらかれたといいます。戦国の永禄のころ、戦火で落城して廃城となりましたが、郭や土塁、堀切のあとは、いまも山の上にはっきりと残っています。
村の鎮守は大歳神社。実りを司る大歳神を主祭神に、武甕槌命や天児屋根命など九柱の神々がともにまつられています。例祭は10月17日。境内の木々には野生のフウランが着生していて、市川町指定の天然記念物になっています。夏、樹の上で白い花がひらく——古城の里の、小さな奇跡です。
村には天台宗の竜音寺があり、山には横倉山観音堂がまつられています。どちらも由緒のくわしい記録は見つかっていませんが、城と宮と寺と観音さま——小さな村に、祈りの場所がこれだけ重なっているのが谷という村です。
明治22年(1889年)、谷は甘地ほか6か村とともに甘地村となり、昭和30年(1955年)の合併で市川町の大字になりました。いまの谷には、自家焙煎の珈琲店が二軒と家具の工房——山あいの村に、香りをたよりに人が訪ねてきます。古城の里の、新しい章です。